【ネタバレ注意】荻原数馬『クレイジー・キッチン』(カドカワBOOKS,2019年)

本書*1株式会社KADOKAWAの書籍4冊連続刊行企画「スレ発ラノベ4」の1冊として,今年10月10日に発売された。以前のエントリーでも紹介した通り,「スレ発ラノベ4」で書籍化される作品は全てWEB掲示板,通称やる夫スレがその発祥である。本書の基となった作品は『やらないキッチン』で,同一の作者によりリライトされた形だ。

 

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本書は洋食屋「ひだるまキッチン」を中心として巻き起こる食に纏わる騒動を描いた料理コメディ作品である。254ページの中に全二十話が詰め込まれた短編集的な構成であり,どの話も切りよく纏まっていて面白い。短編集的とは言ったが,実際には連続した物語であるから,初めから順に読んでいくのが望ましい。

全体的に,洋食屋の話であるにも拘らず下品なギャグが多いが,それが小気味良く繰り出されるため,下ネタにある程度耐性のある人間ならば問題なく大いに笑うことができるだろう。

本作の主人公・日野洋二(ひのようじ)店長は天才料理人にして希代の変人ではあるものの,他人は基本的にさん付けで呼び,気障なセリフを吐き,小説を持ち歩き,一人前に恥の感情を持ち合わせているなど,思いの外知性を感じさせる常識人的な一面も持っている。また,彼の料理人としての拘りは書籍化にあたってより一本筋が通ったものして表現されているように感じた。主人公以外のキャラクターも,それぞれが個性豊かで深みを感じさせる造形がなされている。料理関連の描写もより洗練されたように思う。

公式サイト(https://foraastory.kadokawa.co.jp/crazy/)によれば本書には「誰も読んだことのない新エピソード」が「2編収録」されているとのことなのだが,私が基となったやる夫スレと対照してみたところ書き下ろしは3話ないし4話なのではないかと感じている。もし私が書き下ろしと思っている話の中にスレッド化されていたものがあるのであれば是非確認したい。

なお,私が作成した対照表は以下の通りである。大まかなストーリーや表現の一致から判断したものであり,話のディティールは書籍化に伴い変更された部分が多くある。
書籍第一話⇔スレ第一話
書籍第二話⇔スレ第二話
書籍第三話⇔スレ第三話
書籍第四話⇔スレ第四話
書籍第五話⇔スレ第五話
書籍第六話⇔スレ第六話
書籍第七話⇔スレ第八話
書籍第八話⇔スレ第十話
書籍第九話⇔スレ第十一話
書籍第十話⇔スレ第十二話 Aパート
書籍第十一話⇔スレ第十二話 Bパート
書籍第十二話⇔スレ第十三話
書籍第十三話⇔スレ第十四話(メニュー変更あり)
書籍第十四話⇔スレ第十五話
書籍第十五話→スレ特別編(書籍化宣伝に伴うスレ投下)
書籍第十六話⇔スレ第九話
書籍第十七話→スレ該当なし(内海さん登場部分につきスレ第七話前編要素あり)
書籍第十八話→スレ該当なし
書籍第十九話→スレ該当なし
書籍最終話⇔スレ第十七話

スレ第七話(前後編)→書籍該当なし
スレ第十六話→書籍該当なし

 

本作が非常に面白い小説であったがために,一つ残念でならないのは,その挿絵である。全体的にイラストの発注と受注に齟齬が生じていたのではないだろうか。

まず「ひだるまキッチン」でウェイトレスをしている金本香苗(かなもとかなえ)さん(通称カナさん)のイラストであるが,彼女は本文の描写からすると,「各方面に最大限配慮した表現でスレンダー」で*2,眼鏡をかけており*3,額の出る髪形をしている*4ようであるが,イラストでは一貫してある程度バストサイズがあり,眼鏡はなく,額は完全に前髪で隠れている。作者である荻原氏のTwitterではバストはパッドで,眼鏡は適宜付け外しをしているとの説明がなされている*5。しかし,元スレでのカナさんのAAがローゼンメイデン金糸雀であったことに鑑みれば,眼鏡があったりなかったりすることは受け入れられても,胸がパッドであることと前髪を下ろしていることには寂寞の念が堪えず,元スレのことを度外視すると,胸がパッドであることは了承できても,眼鏡をその場その場で着脱するのは伊達か老眼でもない限り不便で仕方がないように思え,そしてやはり額の扱いが本文とイラストで違う理由は分からないままである。

また,口絵の2枚目と3枚目の見開きカラーイラストについては,この場面はそこに付されたセリフからして本文211ページの模様をイラスト化したものと考えられるのだが,ここで店長とカナさんの二人が食べているのはイラストにあるシチュー様のもののライスがけではなく牛スジ肉の煮込み定食(の残り)である。このシーンは,第一話のラストで分かるようにどれだけ腹が減っていようと自分の分の飯を先んじてキープすることなく客に料理を提供し続けた店長*6が,カナさん(と自分)のために料理を取り置きし,いよいよもってそれを振る舞うという場面であるから,状況とイラストが乖離しているように見えるのが一際残念である。

カナさん関連のイラストで言えば,もう一枚,215ページのイラストも気にかかる。

ほっぺたに米粒を引っ付けて目を輝かせてながら味見に勤しむ微笑ましいカナさんのイラストなのだが,この場面ではカナさんに白米は提供されていないと思われる。この味見の前後の場面ではやや不自然な空行が多用されているから,それが時間の経過を表す行間であり,その間に白米が供されていたとも一度考えたものの,しかし空行の前後は時間の断続がほとんどなく連続しているように読め,そこからするとやはりここでのカナさんはビーフシチュー単体で味見していたと考えられる。

最後に175ページの包丁のイラストだが,素人の私の目からするとナイフに見える。少なくとも一般的な包丁の形状ではないのではなかろうか。ネットで調べてみれば,切っ先に付いた峰側の刃の広さと反り返り具合からするにボウイナイフの一種ではないかと思われる。蹴り上げて天井に刺さる形状の刃物として自然なのはボウイナイフだったのかもしれないが,そもそも刃物を蹴り上げて天井に刺さるというフィクションが前提となっているのだから,ここはそのまま一般的形状の包丁で良かったのではないかと思う。この包丁は強盗犯の少年が彼女の家から持ち出してきたそうだが,それを考えても普通の包丁が自然だろう。

ちなみに,表紙絵でカナさんはオムライスをサーブしているが,作中でオムライスが明確に提供されるのはこの強盗少年に対してだけで,そのとき現場にカナさんはいない。しかしこれは表紙絵であって別に作中の一場面を切り取った挿絵というわけではないのだから,洋食屋の日常的一幕として有り得るものと考える。

 

誤字と思しき部分は2箇所発見している。
1箇所目は88ページ19行目(最終行)の「気使い」で,諸説あるようではあるが,「気遣い」が一般的な用法と思われる。
2箇所目は151ページ7行目の「触感」で,これもおそらくこの場面では「食感」を使うのが一般的だろう。

*1:荻原数馬『クレイジー・キッチン』(カドカワBOOKS,2019年)。

*2:荻原・前掲注(1)6頁。

*3:荻原・前掲注(1)8頁。

*4:荻原・前掲注(1)8頁,140頁。

*5:荻原数馬,Twitter,2019年10月8日(https://twitter.com/SP_debris/status/1181769775640301569,2019年10月23日最終閲覧)。

*6:なお,書籍化されなかった元スレ版第七話前後編では,料理をつまみ食いしていたり,そもそも食材が切れているのに常連客達に飯を集られていたという前提の下で,自分用に食材を隠し持っていたりしている。しかし書籍版ではそのような描写はこの場面くらいでしか見受けられないように思う。書籍版第十八話のラストでも,作り上げた料理(ビーフシチュー)が尽きるまで客に提供していた。