【ネタバレ注意】杉井光『世界でいちばん透きとおった物語』(新潮文庫、2023年)感想

ネタバレ厳禁と書いてあったが帯だったので許してほしい。
なにをどう言及するにしても本書の情報に少しでも触れたならそれだけである種のネタバレだろう。
読むにあたっては注意してほしい。

 

友人からの勧めで読んだ。
「世界でいちばん透きとおった物語」と聞いて、薄く色づいた桜の花びらを太陽に透かして見たようなほのかな青春の初恋のような中身を想像したが、特にそんなことはなかった。
おそらくミステリと言っていいと思う。

ミステリは昔に赤川次郎を両手で数えられるくらい、東野圭吾を片手で数えられるくらいしか読んでいず、詳細に分析できる経験値はないが、本書はなかなか独特の作品だったのではないか。

メタを巧みに活かした構成で、推理作家が推理作家の話を推理小説として書くストーリーの推理小説という少なくとも三重の入れ子構造が見て取れる。ひょっとすると最後の箱は蓋が開いていたかもしれないが。
最後まで読み終えて冒頭の役割説明もただの修辞的な比喩ではなかったことに気づき、作者の丁寧な伏線の張り方に驚かされた。
ただ実験的なデザインの本作をこのメタ的な構成にしてしまったが故に、本作は自身の中に大きな壁を築いてしまったのではないかとも思う。

 

作中には偉大なる推理作家・宮内彰吾が登場する。主人公・藤阪燈真の書く小説のデザインは宮内のアイデアであり、そして本作も同様のデザインとなっている。
であるがゆえに、本作は解決編で本作のデザインが発覚してしまう。おそらくこれが帯にある「予測不能の衝撃のラスト」なのだろう。
だが作中で宮内は新作となる推理小説デザインのアイデアを提示しながら、しかしその素材となるストーリーを一度そのデザインを使うことなく、読者から「かなり面白かった」、「凄みはなかった」が「普通に面白かった」と言われるレベルで原稿として書き上げている。
結局当初のアイデア通りのデザインでは形になっていないから、そうする際に改編があった可能性はあるが、宮内の執筆動機を考えるとあえてデザインの意図を読者に明かす必要はないと思われ、そうなったときの宮内の作品の完成度を想像してしまうとそちらの方に本作以上の期待を抱いてしまって仕方がないのである。

 

また、本作のデザイン上どうしても仕方がない部分ではあると思われるが、改行が多く見えたのが気になった。しかしこれは私が本を読みなれていないせいで過敏になっていただけで、実際はいたって普通の文章量だったのかもしれない。思えば同じくミステリの『同士少女よ、敵を撃て』*1を読んだときもラノベかと思うほど改行が多かった*2ように感じたのを覚えているから、やはり際立って改行が多いわけではないのだろう。

しかしやはりデザインの構想と実際の組み上がりはすべてが思い通りにはならないようで、私が手に取った版は、物語の最初の一ページはやや印字か綴じ代がずれてしまっていたようだ。またこれも仕方がないが隙間の多い記号や約物類は、デザインが明らかになってからは紙面の映えがどうしても気になってしまった。

 

それにしても、本書のデザインは果たして「衝撃のラスト」なのだろうか。
デザインは常に目の前にあり続けていた。本来、衝撃のし通しではないか。本作ではたまたまそれが解答編で明らかにされたから衝撃のラストかのようにも見えるが、アイデアを同じくする私の中の理想の宮内作品はこれを明かすことなく終わることが可能である。

無いものについて語っても仕方がないが、美しさで言えばあえて秘密を語らない理想の宮内作品に分がありそうな気がする。これに気づいた人の驚愕のしようも一入だろう。だがこれを明かさないときの商業的な戦略は難しそうだ。
本作は種明かしがあるから読者はそのネタバレに気を使ってくれるだろうし、出版側も当然何らかの配慮があるだろう。しかし本筋には全く関係のないただのデザインであれば、あるいは気づいた人が大々的にSNSで真相を発表するかもしれない。それが明らかになってから、出版側でそれを特徴として売り出す戦略も取れるかもしれない(実際にはそれこそ校正等の段階でチェックされるのだろうが)。するとこれはただのデザインであってミステリの要素ではなくなるかもしれない。その場合、衝撃作ではあるがこの点をもって衝撃のラストとは言えないだろう。

とすると本作のデザインはミステリの要素に組み込まれているから、やはり「衝撃のラスト」でいいのだろうか。
気づいていないだけで最初から明らかだったことを理解可能な形で提示されて初めて納得できる人間の認知かもしくは快楽回路は歪んでいないだろうか。
ミステリって難しくないか。

この辺りはそれこそ作中でも言及のある京極夏彦の作品にあたってみれば何かわかるかもしれないが、近々であの分厚さに挑む気分はまだ醸成されていず、そしてやはりそもそもミステリの経験値が少ないから考えをまとめるのは未来の私に任せることにする。

 

あとは作中人物たちの行動の動機を掴みかねる部分が多々あった。父が息子を愛する理由、愛情表現として直接的な方法を採らなかった理由、証拠を消そうとした理由、犯罪を通報しない理由等々、私が精読できていないせいもあるだろうが、外形を一読しただけでは容易には得心いかないところが多かった。
ちょうど直前にたまたまミステリである姉小路祐『動く不動産』(角川書店、1991年)を読んでいて、巻末に付いていた同作が受賞した第11回横溝正史賞(現・横溝正史ミステリ&ホラー大賞)の選評で他の候補作について犯人の人物像と犯行手段が不釣り合い云々と論じられていたのを見てしまっていたのもあってか、その辺りの描写に敏感になっていたかもしれない。
現実の人間の行動にいちいち明確な理由などないのだからフィクションならなおさら書かれたことを事実として受け取ってしまえばそれで良い気もするが、にもかかわらずその乖離が気になってしまうのは論理を用いて快感を誘うのがミステリというジャンルだからだろうか。

 

とはいえそうした細かい点は気になりつつも、一気に読んでしまってからうんうん唸って感想を整理する気を起こさせてくれた本作にはやはり非常な力が宿っていたようにも思う。

*1:逢坂冬馬(早川書房、2021年)。たしかアガサ・クリスティー賞を受賞していたと思うからミステリに括っている。読んだ当時はとくにミステリ要素は意識していなかった。

*2:ライトノベルも他の小説ジャンル同様あまり読んでいないから大いに偏見である。ただ流石に『ゴブリンスレイヤー』(蝸牛くもGA文庫、2016年))は改行多すぎだと思う。叙事詩かと思った。