書き手は「自分が知っていること」をではなく、「今知りつつあること」を、遅れて知りつつある読者に向けて説明するときに、もっとも美しく、もっとも論理的で、もっとも自由闊達な文章を書く。*1
孫引きである。引用元は小坂井敏晶『増補 責任という虚構』であり、その引用元は内田樹のブログ*2である。ちなみにそのブログ記事は2009年の本人執筆の書評からの転載とのことだ。
孫引きは品がないが、本書を読んでこの本が非常に近しい主題を扱っていると感じたため、あえてこの本を引用元に選んだ。引用部自体は特に本書と関係があるわけでなく、どちらかといえば書かない自分に発破をかけるための選択である。
『虐殺器官』は伊藤計劃のデビュー作で、2007年に発表された。2010年に文庫化され、その電子化が2012年に行われた。
本書は主として言語と自由と責任が主題となっているように思う。そのうち自由と責任の2点が先に引用した『増補 責任という虚構』の主題と共通している。自由の生起という疑いから責任の行方を考えるにあたり、本書の副読本として携えるのが好ましい一冊だろう。本書はTwitterを探った限りどうやらフランス語版があるようだが、であるならば『増補 責任という虚構』の方もフランスで出版できてしかるべきようであるが如何に。
本書はSFとしての読み応えも当然十分で、未来技術の跋扈する世界観は確かにメタルギアの面影を感受することができた。ハードな内容ではあるもののソフトな文体で表現されているため躓かず読み進められた。所々に挿入された他の有名作品への言及も楽しく、本作を盛り上げるのに一役買っている。総じて満足度の高い作品であった。