『アリスとテレスのまぼろし工場』感想

Fischer'sのモトキが生き物の吐息というものは生臭いものなのだと語ってくれていたのを引用しようと思ったのだが、膨大な動画アーカイブのどれに収められた言葉だったか分からずじまいになったので、そういうエピソードがあったという紹介だけに留めておく。

 

友人に、主題歌は中島みゆきですよ、と言われて慌てて劇場に駆け込んだ。
『ガーズル&パンツァー 最終章 第4話』を観た時にきっと予告で目にしていたはずなのだが、ボーイミーツガール敬遠癖のせいで見落としていたのかもしれない。
慌てて、と言うのは、どうも興行成績が芳しくないらしく9月半ばの公開だというのにもう上映終了した劇場も多いという話だったからだ。
辛うじて上映中のところが見つかり、無事滑り込むことができた。

そんな次第だからこれから観に行く人も多くなかろうし、封切りからひと月経っていることもあるので記事タイトルにネタバレと書いていないが、以下本文では本編の内容に触れることもあるので、観るつもりでまだの人は注意してほしい。
というかさっさと観に行ってほしい。

 

生きることは痛くて臭くて苦しくて、でもその先に希望を見出しながら進んで行くしかなくて、恋というのも痛んで焦がれて気持ち悪くて、でも好きな人と共に居続けるにはぶつかっていくしかなくて、そんな悲しいけどあたり前なことをスクリーンの前の私達が再確認するのに、五実の十年を犠牲にしてしまうのはあまりにも酷ではないか。

最終的には乗り越えられた初恋の失恋として描かれたから救いようがあったが、それでも沙希はまぼろしではなく現実の側の人間で、結局徹頭徹尾まぼろしで向うからは現実に干渉してこずあちら側で完結される正宗たちに比べると、背負わされる傷があまりにも大きすぎると感じてしまう。

一度パラレルワールドに分岐したらあっちはあっち、こっちはこっちで関係ない世界になるというのは魔界大冒険のドラえもんの言*1だが、魔界大冒険が分離独立した別世界であるのと違い、こちらはまぼろしであって現実ではないと区別されてしまったから、現実の存在である沙希の方に深く同情してしまうのかもしれない。

いや待て、そう考えると魔界大冒険より『SSSS.GRIDMAN』の方が近い構造の気がしてくるが、だったらもっとまぼろしの世界に肩入れできていいはずだ。とすると情報が開示された順と深刻さで心の中の重み付けを変えてしまっているのか。度し難い。

 

まあでも、報われなさで言うと五実より園部のような消えてしまったまぼろしの人々の方が深刻ではある。存在するのに耐えられなくなると消えてしまって戻らないという不可逆性も残酷だし、我慢せず胸を張って先に進み続けていいと確信する機会もなく消滅していった人達の無念は察するに余りが有りすぎる。

傷ついても絶望しても自由を奪われても自力ではどうしようもなくなったとしても、諦めずもがき続けなければほんの一瞬で何もかも消えて無くなってしまうのは現実の世界でも変わらない。最後に足掻く推進力に恋する心が使えるのなら存分に使ってやればいい。

人間は誰でも好きになることができる。たまたま今、此処を同じくする他人を好きになれなければ営みは続かなかった。陳腐でちっぽけで調子っぱずれな恋でも未来に直進する熱量を担っている。

 

主題歌の『心音』は中島みゆきが本作の台本に痛く感じ入って*2書かれたようだが、流石と言うか本作の骨子が丸っと詰まっている。中島初のアニメソングらしいが、昨今のアニメタイアップ楽曲にありがちと思われている直接的な作中の表現は極力避けて雰囲気と文脈で一貫性を出す類の曲ではなく、主題を丁寧に抑え出すべきキーワードは惜し気なく使って作り上げられている。

またシングルCDにカップリング収録された『有謬の者共』も、こちらは本作には使用されておらず直接の関係性は不明だが、本作を別の側面から捉え直した曲としても十分解釈することができ、親和性は非常に高く感じる。

当然単体の楽曲としても文句なく成立しており、どちらもすでに各種音楽配信サービスにもリリースされているほか、YouTubeに公式でMVやトレーラーがあるらしいのでそちらでも楽しむことができる。

 

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こちらが『心音』のフルミュージックビデオで、

 

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こちらが『有謬の者共』のワンコーラストレーラーだ。

 

ところで、本作のタイトルの「アリスとテレス」とは一体何だったのだろうか。

映画にはそのような名前の人物はいなかったと思う。施設名までは気を配っていなかったがそれにも思い当たる節がない。

一応簡便に感想を反芻できるように原作小説*3も買って半分ほど読んでみたが、今のところ特に出てきていないと思う。

アリストテレスは哲学者で、アリスはファンタジーなら不思議の国のアリスが真っ先に出てくる――そういえば作中に出てきた少年漫画が哲学モチーフだったし、正宗の父親は若い頃に哲学かぶれだったし、不思議な世界に飛び込むことになった五実はアリス的存在といえばそうなるか。

プラトンの著作にもルイス・キャロルの著作にもあたったことがなくて全く思考が追い付いていなかったが、何の脈絡もない命名ではなかったようだ。となると俄然、テレスが何か気になるが。

 

とまれ、菊入家の未来に平穏と幸福があらんことを願わずにはいられない作品であった。

*1:「ドラミ『パラレルワールドになるわけよ。』のび太『パラ……、なんだいそれは。』ドラえもん『つまりね、あっちはあっちでこっちと関係ない世界としてつづいていくわけ。』」藤子・F・不二雄のび太の魔界大冒険」『藤子・F・不二雄大全集 大長編ドラえもん 2』(小学館、2011年)217頁、386頁

*2:YAMAHAの商品ページより。https://www.yamahamusic.co.jp/s/ymc/discography/1156?ima=0000

*3:岡田麿里『アリスとテレスのまぼろし工場〔再版〕』(角川文庫、2023年)。角川文庫をあまり読まないので再版が二刷なのか二版なのかわからないが、再版発行は8月25日、初版発行は同年6月25日。岡田麿里は本作の脚本・監督。