三崎律日『奇書の世界史:歴史を動かす“ヤバい書物”の物語』(KADOKAWA,2019年)

『奇書の世界史』*1とは,正式名称を『奇書の世界史:歴史を動かす“ヤバい書物”の物語』という,2019年に発売された三崎律日による奇書の解説書です。著者はAlt+F4名義で「世界の奇書をゆっくり解説」という動画シリーズを投稿しており*2,『奇書の世界史』はその内容に加筆・修正が施された上で刊行されました。

 

文体模写はそれほど得意ではないからこの辺にしておくとして,前述のとおり,本書はニコニコ動画YouTubeに投稿されているゆっくり解説動画シリーズ「世界の奇書をゆっくり解説」の内容を書籍化したものである。私も「ヴォイニッチ手稿」か「非現実の王国で」あたりから動画シリーズを楽しませてもらっていた。ゆっくり解説が商業出版されるという話は私の知る限り初めてのことで,それも題材が「奇書」であることもあって,そこにある種の自己言及的な面白みを感じ,本書の購入に至った。

本書を手に取ってまず感じるのは,表紙カバーの手触りの独特さだろう。鈍い光沢感からマット加工であることは見て分かるが,指でなぞると妙にザラザラする。後で知ったことだが,このザラついたカバーは「人の肌に限りなく近い」ものとしてデザインされているらしい*3。そう聞けば成程といった感じであるものの,難儀なものでこの装丁は皮脂汚れが頗る目立つのが玉に瑕である。もしや本書の帯がカバーの半分近くを覆う特大サイズ*4であるのは,手汗による汚損を防ぐためだったのだろうか。私は本棚での出納に際して帯が破損するのを防ぐために,帯の上からカバーを掛け直すようにしているのだが,今回はそれが徒となったようだ。というか,今になって気付いたが,読む時はカバーを外して表紙を剥き出しにしておけば良かったのではないか。最早,後の祭りである。ちなみに,カバーを剥いだ素の表紙も,紫地に金で挿絵が入ったお洒落なものだった。

本書の基となった「世界の奇書をゆっくり解説」シリーズは現在本編10回,番外編3回の計13回にわたる動画群である。本書はそれらのうち本編最新回を除く計12回に,書き下ろしである本編2章分を加えた全14章で構成されている。具体的には第5章「穏健なる提案」と第10章「椿井文書」が書き下ろしである。また,書き下ろし以外の章にも大幅に手が加えられているらしい。書き下ろしの2章については今後動画化される*5とのことなので,それも楽しみである。本書の全体を通したコンセプトは奇書を用いた「価値観の差分」の探究とされる*6。この点はおおよそ動画シリーズと違わない目標であろう。

ページを捲って目に付くのは若干広めに取られた下部のマージンである。脚注をページのすぐ下に,場合によっては画像付きで示すための工夫と思われる。

文章の内容的には,動画と同程度に楽しませてもらった。動画だとやや慇懃に過ぎる印象を抱くゆっくりの語り口であったが,完全な文章単体ではそれほどまでではないということか,書籍化に際する改変の結果かは定かでないものの,そんなに気にならなくなっていた。

注文を付けるとするならば,脚注を付ける人物の基準がよく分からなかったというところか。必ずしも紹介される全ての人物が脚注で補足される訳ではなかったようで,アリストテレスプラトンに注が付くなら他の人物にも付いて良かったのではないかと思う箇所が多々あった。また,各章の最後に置かれる,紹介した書籍についての筆者のまとめと見解の文章だが,いくつかの章において論理展開が良く分からないところが存在した。

あとは,第9章「サンゴルスキーの『ルバイヤート』」が本書の中では少し浮いているように思えたところか。先に確認したとおり,本書の目的は「価値観の差分」の探究であり,そのために「かつて一般大衆に受け入れられたものの,現代では奇書になってしまった書物を紹介」*7するとされているところ,この章は趣を異にしている。豪華本「サンゴスルキーの『ルバイヤート』」が辿った運命は正に数奇なものと言って然るべきだが,「サンゴスルキーの『ルバイヤート』」も,その元である『ルバイヤート』そのものも,特段価値観の変遷に晒された紹介はない。本書に打ち立てられたコンセプトから逸れているような違和感を覚えたため,改めて動画の方*8を見直してみれば,この回は,動画シリーズに良く残される「お酒を飲みながら観る」というコメントへのアンサーとして「お酒に合う奇書」のいうテーマで選出されていたことが分かった*9。動画文化的な投稿者と視聴者のインタラクティブな交通の結果が微笑ましい形で結実したものであったのだ。別に本書は学術論文というわけではないのだから断固たるテーマの一貫性が必要であるなどとは微塵も思っていないのだが,コンセプトを明示されてしまうとそこからのズレが気になってしまったのである。

誤植と思わしき部分は現在2箇所発見している。1箇所目は211ページ冒頭の「『サンゴスルキーの『ルバイヤート』」の部分で,二重鍵括弧閉じがないことと章題からして最初の二重鍵括弧開きが不要であろう。他の章は全て二重鍵括弧開きから始まっているが故の誤植と思われる。2箇所目は258ページの「わたしの膝が少しずつ,あの女熱い」となっている部分で,これは詩の引用だからはたして誤植でない可能性も十分にあるのだが,文意からすれば「あの女の熱い」などのように「あの女」と「熱い」の間に適切な助詞が挿入されるのではないかと思われる。引用文献を手近なところで確認できる環境にないため正確な指摘ができないことを断っておく。

*1:三崎律日『奇書の世界史:歴史を動かす“ヤバい書物”の物語』(KADOKAWA,2019年)。

*2:ニコニコ動画での動画リストはhttps://www.nicovideo.jp/mylist/56168136YouTubeでの動画リストはhttps://www.youtube.com/channel/UC_kiSblCnh6A_kFsEcB7JfQ/videos

*3:Alt+F4「世界の奇書をゆっくり解説 告知編 「奇書の世界史」」ニコニコ動画(2019年7月21日投稿)(https://www.nicovideo.jp/watch/sm35430749,2019年9月11日最終閲覧)12分40秒-12分50秒。

*4:私の実測値では,カバーの縦が約19cmに対して,帯の縦が約9cmである。

*5:Alt+F4・前掲注(3)9分48秒-10分1秒。

*6:三崎・前掲注(1)5頁。

*7:三崎・前掲注(1)5頁。

*8:Alt+F4「世界の奇書をゆっくり解説 第8回 「サンゴルスキーのルバイヤート」」ニコニコ動画(2018年5月5日投稿)(https://www.nicovideo.jp/watch/sm33159073,2019年9月11日最終閲覧)。

*9:Alt+F4・前掲注(8)23分6秒-23分22秒。