『君の名は。』

最近,新海誠監督の最新作『天気の子』が公開されたそうで。私はまだ観ていない。観に行く予定も今のところない。

新海誠監督の作品と言うと,これを外しては語れないという怪物作品になったものが,2016年公開の『君の名は。』である。国内興行収入は250億円を超え歴代第4位,世界でも日本映画としては『千と千尋の神隠し』を抑え最大ヒットとなったそうだ。

ここまでのお化け映画になってしまったからには,もうこれ避けては通れなくなるだろうと半ば諦めにも似た感覚で映画館に観に行ったのを覚えている。『天気の子』も『君の名は。』に肉薄するレベルでヒットすれば義務感に駆られて映画館のシートに磔にされに行くかもしれない。

最近金曜ロードショーでも放映されたらしく,そのときTwitterで「無料で見た人間たちから文句が噴出している。映画上映時はここまで酷評されていなかった」というような呟きが流れてきた。私の記憶ではそもそも上映当時から一定数「気持ち悪い」といったような感想が流れていたようにも思うが,それは措くとしても,金を払って見たものを称賛するのと批判するのではだいぶ労力が変わってくる気がしている。

良いものを観た後はその良さをとかく伝えたいとか,他の人にも楽しんで欲しいとかの思いからやたら褒めて回りたくなる。しかし,たいして観たものが良くなかった場合,そもそも話題に出そうと思わないし,誰かが褒めているところに「いやあれは良くなかった」などと割って入るのは,リアルでは余程気の置けない仲でもない限りかなりイタイ奴だろう。ツイッターでボソッと「つまらなかった」と一言呟くだけであれば楽ではあるが,作品がつまらないことを会話のタネにしようと思ったら具体的につまらない部分の検討をする必要が生じる。つまらないと思った作品のどこがどうつまらなく感じたのかを自分で確認する作業自体が苦痛な気がする。その作品がよほど酷い出来で誰にも観てもらいたくないという義憤に駆られた人でもなければ目立った批判にはならないのではなかろうか。もちろん,本人の気質としてつまらないものをはっきり斬っていくような人もいるのだろうが。つまらないとは別ベクトルで,特定のシーンや表現について疑問を覚えたり意味が分からなかったりした部分を俎上に載せる場合もあろうが,上映中の作品であればネタバレに配慮するというモラルがのしかかってきて広く目に触れることは少なくなる(と信じたい)。まあ,個人の感想なのだから名誉毀損や人格批判等にならなければ自由に意見を表明できて𠮟るべきであるとは思う。

それはそれとして私は『君の名は。』をそこまで評価していない。映画本編を観てもう少なくとも2年以上経過しているから細部の記憶は薄らいでいるが,覚えている範囲で感想を書いておこうと思う。

私がこれを観に行ったのは既に大ヒット御礼の宣伝文句が世を席巻し終えてもはや一段落着いてしまった後だったので,事前知識として「入れ替わりモノ」であることだけは承知していた。

入れ替わりモノは,私の愛好するやる夫スレではよく取り上げられる題材である。TSFと言った方が通りが良いかも知れない。TSFは必ずしも2人の異性が互いに入れ替わる訳ではない,というか一個人で完結するものが普通だから,その点では『君の名は。』は一般的にTSFではないのだろう。私がTSF作品で楽しみにするのは,後天的に自分の性自認と違う性別に身体が置き換えられるという状況に,人格的,社会的にどう適応していくのかという部分である。『君の名は。』は私が楽しみにしていた要素がほとんど描写されなかったため,私としては残念であった。

また,三葉が父親に避難の直談判に行ったシーンで,たしか三葉では父親を説得できず,瀧が出てきたものの,結局よく分からないまま三葉の父親が納得してしまった部分(詳しく覚えていないが多分こんな感じだったと思う)に納得がいかなかった。視聴者置いてけぼりの感覚と言うのが近いだろうか。

あと,三葉が消滅した後,瀧の周囲から三葉の存在が消滅していくシーンで,携帯電話に残っていた三葉由来のデータがさらさらと消えていったことにもあまり納得行っていない。三葉と瀧の入れ替わりに関する世界のルールがこのシーンのせいでだいぶあいまいになってしまったように思う。消滅する存在の境界がどこなのか分からなくなった印象を受けた。

覚えている感想としてはだいたい以上である。思っていたTSFではなかったという最序盤の段階で選好としてだいぶ嫌厭寄りになってしまった感はあったが,その他の点を含めても特別に良い作品であるとは感じなかった。