悪役令嬢という一見して意味不明な名称を初めて目にしたのは確実にどこかのやる夫スレまとめサイトだ。それまではそのように呼称されるキャラクターの分類方法もそれを基にした文芸ジャンルも寡聞にして全く知らなかった。
「悪役令嬢もの」のweb作品は,どうやら存外に長い歴史をもっているようなのだが,構造が複雑なように思われる。まず,転生先となる世界は,作中における一次創作作品である。でなければそのキャラクターが「悪役」であることが判明しない。そして作中における現実世界において当該一次創作作品を鑑賞したことのある者が,その登場人物たる悪役令嬢に転生し,往々にして破滅する運命を改変するために奮闘する,というのがストーリーの大まかな流れとなっているようである。
すなわち,1. 作中における現実世界,2. 作中における一次創作作品の世界,3. 1から2へ転生した主人公が改変する世界,以上の3つの世界観が少なくとも必要になるのである。
普通の転生ものであれば,作中の現実世界と転生後の世界,この2つしか必要でないところ,それよりも1つ余計に世界が必要である。
この三層構造は,一部のオリ主登場系二次創作作品に近いような気がする。この時の三層とは,1'. 現実世界,2'. 一次創作作品の世界,3'. 当該二次創作作品の世界,である。原作で何が起きるかを知っている現実世界の存在が,その作品の世界の中で,原作と違う物語を紡ぐ,というところで,「悪役令嬢もの」に近い。
では両者でなにが違うかと言えば,一番の違いは,悪役令嬢ものには実在する一次創作作品が存在しないという点だろう。3を記す悪役令嬢ものの物語自体が一次創作作品となっており,2はいわばゼロ次創作とでも言うべきものになっている。
このように通常の転生ものよりも構造が一段複雑であるにもかかわらず,なぜ悪役令嬢ものは読者に,そして作者にも人気があるのだろうか。
思うに,それは紛いなりにもゼロ次創作作品という「原作」が存在することにできる,という点なのではなかろうか。
現実で一次創作作品を作ろうとすると,世界観の創出が思いの外難しい。設定は詰めようと思えばどこまでも詰められるし,逆にほとんど白紙にすることもできなくはない。自分の中で妥協点を見つけ,満を持してそれを世に問うても,やれここの時代考証がおかしいだの,この部分が論理破綻しているだの,文句はつけようと思えばいくらでもつけられるのである。
それを「原作」があるということにすると,多少無茶な設定があったところで,それは原作にあった設定で,作中の現実世界ではそれがそれとして「原作」であったということになれば,それならば仕方ないとある程度読者側も疑問を呑み込むしかない。
もちろん,その「原作」を改変していく描写に難があれば結局は元の木阿弥となってしまうのだから意味がないのだろうが,とはいえ作品の「原作」を作ることで,細部を詰めて描写説明することを放棄してストーリーの流れを作ることさえ可能であることは,少なくない意味を持つのではなかろうか。