読書は疲れる

文章を書くことは多くの場合アウトプットと言っていいだろう。然らば活字を読むことはインプットである。

良いアウトプットをするためには良いインプットが必要であるとは常々思っているけれども,なかなかどうして実行に移せないのが私である。何をするにしても腰が重いし,何か始めてもすぐに手を止めてしまう飽き性なのだから性質が悪い。

私の一般的性癖は措くとして,読書をするのが非常にしんどい。

昔から活字を読むことが極めて嫌いだった。小学校で出された教科書音読の課題には真面目に取り組まなかったし,読書感想文も課された記憶はあるが碌に書いた記憶がない。課題図書など以ての外である。それでも当時はまだ漫画を読むことは好きでそれだけは続いていたから,今よりはだいぶましであった。今では漫画を読むことさえも億劫で仕方がない。

そんな調子であったから当然量をこなして読むことなど全くできやしなかったにも拘らず,なまじ地頭が良かったせいか,あるいはそう錯覚させられていたせいか,思い込みは激しかったものの読まされる文章を理解することは苦にならなかった。

しかし,量をこなしてこなかったことは今になって影を落としている。正確に言うならば以前から影響してはいたのだろう,鈍感な私は今頃になってようやくそれに気づき始めたのだ。

量をこなさなかった私は,とかく本を読むのが遅い。新書のような薄い本でも3日も4日もかけなければ読み終えることができない。それよりも分厚いハードカバーなどはいわんや,である。ページを繰る手が遅いから,いつまで経っても未読の紙束が薄くならず,読み終わる気がしてこない。それでもひたすら読み続けられるだけの意志の強さがあればよかったが,意志の弱い私は飽いたところで本を放り出してしまう。

いまだかつて漫画以外で1冊丸々読破したと胸を張って言える本が果たしてどれほどあるだろうか。大学に入ってから読書の習慣をつけようと多少努力した時期もあったから,両手の指で足りてしまうほど少ないわけではないが,それでも恐らく三桁には届かないだろう。

アウトプットの訓練をこうしてやっているのだから,インプットの訓練も並行して行わなくてはなるまい。せめて,新書を週に1冊ずつは読破し続けられるよう,努力を重ねたいものだ。