映画『蛇にピアス』

蛇にピアス』は2008年に公開された蜷川幸雄監督の映画である。原作は第130回芥川賞受賞作の一つである,金原ひとみ蛇にピアス』という小説だ。第130回芥川賞綿矢りさ蹴りたい背中』とのダブル受賞で,当時綿矢が19歳11箇月と最年少受賞を果たし現在においてもその名声をほしいままにしているが,金原も当時20歳8箇月で相当に若くしての受賞である。しかし私は原作小説は未読であるので,この話はこの辺りにしておく。

私がこの作品の存在を知ったのは同窓生との会話の中であり,詳しい日付は忘れてしまったが少なくとも4年以上前のことである。日中何をしていたとかそんなことを話している中で飛び出してきた単語だったように思う。同窓生甲が『蛇にピアス』を見ていたと言ったのに対して,乙が凄い作品だと反応した……ような気がするがもはや記憶が定かではない。しかしながら私が『蛇にピアス』という作品名を衝撃とともに今日まで記憶しており,その結果Amazon Prime Videoに追加されているのを発見して見るに至った。経緯を書き起こしているうち,そう言えば甲が作品について「舌が割れるやつ」などと説明していたから私が衝撃的に覚えていた気がしてきた。乙の反応もその説明に対してだっただろう。

 

主人公のルイ(演:吉高由里子)は,東京のクラブで顔中ピアスに赤いモヒカン,背中に龍の刺青,そして蛇のように舌先が二つに割れたスプリットタンの持ち主アマ(演:高良健吾)に出会う。ルイとアマは同棲して交際を始め,ルイはアマに誘われて,彫師シバの店で舌にピアスを入れる。ある夜,ルイとアマが夜中に街を歩いていた時,暴力団員がルイをアマから奪おうとする。激昂したルイはその暴力団員を殴り倒し,アマに愛の形として暴力団員から奥歯を2本抜き取ってプレゼントする。アマはルイの行動を窘めつつもそれを受け取る。その後,ルイはシバに龍と麒麟の刺青を彫ってほしいと頼み,二体を瞳を除いて背中に彫ってもらう。刺青が完成してからルイは自分の人生の空虚さと対面し,酒に溺れ,同棲するルイを邪険に扱うようになる。ルイは自分を殺すならシバとアマのどちらだろうなどと考えだす。そんな中,アマが急に姿を晦ます。同棲しながらアマの本名も知らなかったルイはそのことを非常に気に病みながらも,シバを頼って警察にアマの捜索願を出す。アマはすぐに死体で発見され,ルイはシバの家に身を寄せる。遺体の状況などからシバがアマを殺したのではないかと思い至ったルイは,アマから受け取った2本の奥歯を粉にして飲み込み,アマの愛を自らの血肉とした後で,シバに龍と麒麟の刺青の瞳を入れてもらい,シバがアマを殺していたとしても大丈夫と納得する。瞳を入れた刺青を自らの生きる意味としたルイだったが,どんどん拡張していた舌の穴は空虚なものであるとみなし,更に舌の穴を拡張することで,自分の中にできた「川の流れ」が激しくなるのだろうかと自問する。

凡その粗筋は以上のようなものである。作品の内容というよりは制度的なことを付言すると,本作は各所に性行為描写が存在するためか,公開時は旧映倫レーティング区分でR15だったらしいが,Prime Videoでは13+となっている。

個人的に本作は具体的に言語化して評価するのが難しいと感じるが,面白いか面白くないかで言えば面白いと感じた。しかし言葉で説明できない。もどかしいものがある。2000年代の渋谷系アンダーグラウンドの空気感の一端が画面から伝わってきたのであろうか。別に私は当時東京に居たわけでもアングラ界隈に居たわけでもないが,ともかくそのような感じの映画の世界観がそんなに悪くなかったのであろう。自分の確からしさが分からず,また寄る辺を如何すべきかも分からないまま人生を漂う中に,漸く自分の人生といえるものを発見できるという,陳腐で軽薄で青臭いかも知れないが,敢えて言葉にするならばそんな感想を抱いた。スプリットタンと刺青という二方面からのアプローチがアクセントだったのかも知れない。原作小説に手を出してみるのも良かろうかと思った。