腐女子は排他的か協調的か

最近は各人の趣味嗜好の多様性を尊重する風潮が育ちつつあるように見える。腐女子というのは男性同士の恋愛ボーイズ・ラブを愛好する女性を指して使われる語であるが,この語もだいぶと世間一般に受け入れられているように思う。

その昔,ある漫画の登場人物AとBについて(AもBも男性キャラクターである),知人の腐女子からどちらが受けでどちらが攻めか考えよという問答を受けた。私は原作におけるそれぞれのキャラクターの気質に鑑みて,Aが攻めでBが受けであると答えた。しかし腐女子曰く,カップリングにおいてはキャラクターの表面的な受け攻めの気質と逆に考えなければならないのだから,この二人の場合攻めはB,受けはAが絶対であり,他の解釈は絶対にありえないそうであった(実際にはもう少し詳しく,Aが誘い受けか何かでBがまた違う何かでという説明を受けた気もするがよく覚えていない)。私には当時(今も)ボーイズ・ラブのことがよく分かっていなかったから,違和感を覚えつつも,腐女子の世界とはそういうものなのかとその時は納得していた。

しかし,今にして考えてみれば,別に原作でAとBは恋愛関係にあるわけでなく,キャラクター同士のカップリングをあれやこれやと考えるのは読者の勝手気ままな妄想なのであるから,その勝手な妄想に絶対に正しい唯一の見解などはあろうはずもないのである。キャラクター間の関係性を想像において補完するという非常に自由なはずの行為が,特に合理的な根拠もなく特定のカップリングだけが許容されて他は許されないというのであれば,その行為は実際には全く何も自由ではないということになりはしないか。

私がたまたま教えを受けたその腐女子だけがかような考え方を持っていたということであるならば,私が言うことも何もない。しかし,そうでなく腐女子が一般に自らの信念を他人に強制するということであれば,自由な妄想を取り戻すためにも,一度立ち止まって考えることが必要であろう。